取り敢えず「庶民代表」名乗って権力批判しとけば周りが勝手に神格化してくれる

2009年11月07日 01:36

 って話を書こうと思ったんだけど今日は疲れたから手短に。

 権力の相対化。絶対的なものは許さないぜ。神秘的な物、崇高な物、すべて手が届く範囲に貶めてやる。俺たちの代表は俺たちが決める。庶民感覚ない人間に庶民の生活は任せられない。カップラーメンの値段が分からないくせに国民の生活を語るな。マスコミなんて信じられない。ネットは正義。ネットにはマスコミが報道しない真実がある。俺たちはネットに啓蒙された賢い人間。芸人なのに政治家に物怖じせず向かっている爆問の太田さんマジかっけーす。
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 麻生の「カップラーメンの値段も知らない人間に総理の資質――」は心底馬鹿らしいというか、どうでも良いと思ったけど、次いで右の人たちが「鳩山ぽっぽだって良い物食ってるのにマスコミは報道しないじゃねえか」言い出したのは更にどうでも。つーか麻生も鳩山も家が資産持ちなんだから、ガキのころから良いもん食ってるのは当たり前じゃん。麻生のカップラーメンを政策より大きく取り上げるマスコミも、それに釣られて馬鹿騒ぎする大衆も、鳩山だって高価な物食ってるのに批判されないのは不公平だ、言い出すのも全てどうだって良い。

 みんな一緒じゃなきゃ嫌だってヒス起こす発想がキモチワルイ。

 麻生にしても鳩山にしても――政治家は何食ったって良いから仕事しっかりしてね。ちゃんと働いてくれるならOFFに贅沢したって良いよ。むしろ地元に帰ったときは散財しまくって地域経済に貢献してやれ。選挙のときすら地元に帰ってこず、それでも気付いたら当選してる人間も居るけどな。

「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言』の中で右と左が互いに大衆を取り込むため簡単化する現状に警鐘を鳴らしている。右が簡単化して議論を馬鹿にも分かるレベルまで落とし、大衆を扇動して釣り上げるなら俺たちも対抗するため、敢えて簡単化するしかないというのが左派の言い分らしい。

「聖域なき構造改革」「CHANGE」「政権交代」に代表される“ワンフレーズポリティクス”は、大衆動員ゲーム化した現代で駒を奪い合うための戦略であり、決して政治音痴な大衆に親切心を施したわけではない。むしろ「ここまで簡単にしてやらないと連中は理解できないし、馬鹿だから話について来られない」とナメられてるわけだが、分かり易い、政治が身近に感じられた、私たちにも届く言葉で話してくれると喜んじゃうのが現状。あぁ。別に話について来なくても良いのか。何となく理解した気になって支持してくれれば。

 右と左で対抗言説に打ち勝つため――大衆を取り込むため議論の質を落とし、どんどん簡単化して行った結果が今。

ごらんの有様だよ!!!

 押し寄せる相対化の波が「社会的身分や階級に関係なく、誰でも自由に参加し発言できる共同圏の成立」を目指したのなら、確かに今はそう言う時代を迎えた。前にも引用した『批評の機能―ポストモダンの地平』ではこれを“コーヒーハウス共同圏”と呼んでいる。18世紀イギリスでコーヒーハウス(身分に関係なく利用できるカフェみたいな物を想像)が果たした役割を、今はインターネットが担っている。匿名性の向こうには個々人の人生があり決して一様ではないが、オンライン上ではそれが失われ、貴方も私も“名無しさん”になる。

 そろそろ議論の質を上げ振るいに掛ける時期に来ていると思う。

 2010年は奇数年代だから奇数年代の傾向が盛り返してくる、と単純な予測を立てたんだけど、それに合わせて相対主義も浮沈する。消えたり現れたりするわけじゃないよ。ずっと存在はしているんだけど、強くなったり弱くなったりする時代がある。俺は偶数年代が相対主義の強いときじゃないかな、と勝手に思ってるの。勝手に思ってるだけだから当てにしないでね。

 00、80、60、40、20……。

 サブカルチャーの話をすると78年から87年まで80年代を横断して『うる星やつら』が連載して、20年後の00年代に「うる星やつらのリメイクですね、分かります」と言われた『ToLOVEる』がなんか長期連載して、みたいな?
『うる星やつら』てSFを身近にすること、70年代には特殊だったものの崇高性をポッキリ折って日常に落とし込むことが物語の中心にあって、宇宙や宇宙人という物が簡単に人間と接触してラブコメしちゃうんだよね。『宇宙戦艦ヤマト(1974年〜1975年)』より『ドラえもん(1969年〜1996年)』タイプのSFだね。

 ちなみにSF作家の高千穂遙は松本零士を「SF作家としては噴飯物」と言い、ヤマトもSF作品としては大した評価してなかったはず。断定的な口調でバッサバサと切っていくことでも有名な人で、他には「『機動戦士ガンダム』はSFじゃない」とも言ってる。

「SFとは相対的な物を描くジャンルなのに“ニュータイプ”なんて絶対的な物を出しやがって。富野にSFマインドはない」というのが理由。物事を相対化するのがSFはSF作家が口を揃えて言う。小松左京は何度も「SFとは物事を相対化して語れる文学形式である」と書いてる。

『宇宙戦艦ヤマト』に疲れた人が『うる星やつら』を支持したって指摘は、何となく理解できるかも。『宇宙戦艦ヤマト』みたいな話ばかりになったら疲れるもんw

 たびたび前に戻って恐縮だけど俺は前に「今がSF冬の時代なんて大嘘だよ。確かにガチなハードSFは売れてないけど、SFガジェットを引用したSFっぽい作品は売れてるじゃん。むしろ売れてる作品の大半がSFじゃね?」と書いた。これは俺と今がSF冬の時代と言う人たちのSF観に開きがあるからなのかな。

 ラノベSFなんてSFじゃねーよって言う人たちがいる。

 あんなもん子供騙しじゃん。ナツメ社の図解雑学シリーズでも読んだら1時間で仕入れられるネタ使って、なんか深いこと言ってるみたいに仕立ててるけど中身スッカスカ。

 ……とまあ、何処にでも口さがない人間は居るもので。正面切って反論できない俺ガイル。

 だけど事象を相対化しようとする姿勢、心意気はSF魂として買っても良いんじゃないかと思うよ。中には参考文献の引用だけじゃなく、ちゃんと真面目にSFしてる作品だって探せばあるんだし。

 神話や伝承を引用しまくって片っ端から相対化しようとする姿勢カワユス

 ほんと今のラノベや漫画読んでると『もののけ姫』で「神殺しが如何なるものか見せてやろう」と言ってたの思い出す。はい。しかと神が殺されていくところを見せてもらっています。ラノベ作家や志望者に「明日から神話と名の付くものの引用や利用は禁止な。クトゥルーもだぞ」と言ったら、どんな顔するか見てみたい気がする。

 そうやって外にある崇高な物の絶対性をポキポキして行って、終着点が日常の美しさに酔いしれることなんだから、なかなか上手くできてるなとは思う。日常なんて相対的な幸不幸の連続でしかないじゃん。

 我々に残された物が相対的な日常の幸不幸に一喜一憂し、感動の涙を流すことだけなら、こんな貧しい時代は無い。

 俺がやってる「同時代の物語を横に並べ、好き嫌いではなく構造で語る」のも相対化の一種なんだけど、これを書く方に利用すると「ハリウッド式脚本術」になるんだよね。これに関しては言いたいことあるんだけど今回は手短にと言いながら長くなったし、今から始めると更に延々続くのが予想されるため一端切ります(好き嫌い関係なくと書いたように、当ブログで登場する作品は一見すると批判っぽい扱いをしながら実は、俺個人は大好きな場合ある。その逆、褒めてるようで実は大嫌いな作品も相当数ある)。

 だけどさ。最近のハリウッドの駄目駄目っぷり見てたらハリウッド式脚本術なんて有り難がるほどの物じゃないって気付きそうなのにね。実際ハリウッドの現場じゃ数年前から、上がってくる脚本が判で押したように似たり寄ったりなのばかりで問題になってるらしいよ。たまに奇抜なのやろうとしたら『ドラゴソボール』や「キンクソ・オブ・ファイターズ」に……。

2010年公開のハリウッド映画「ザ・キング・オブ・ファイターズ」がやばいことに

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 手短にって言ったのに、そこそこ書いたな。奇数年代とか偶数年代とか、お前も簡単化してるじゃねぇかだって?

 えぇ、その通りですよ(笑)

 気の向くまま書いてたら気付いたときにはSFの話になっていたでござる。本当はこれも紹介しようと思ったんだけどな。早く東南アジアでアニメーター育成するんだ。間に合わなくなるぞ!

 他にはこれも。世界名作劇場を見れば良いと思うよ。

 ずずーっと前に戻ってカップラーメンの話。

 どうでも良いなら書くなよって言われる前に、どうでも良いけど書いちゃったよって言っておく。先に言っておかないとあら探しと揚げ足取りに忙しい人から絡まれるもん。

追悼・レヴィ=ストロース

追記:2009/11/07
 外部の崇高性を次々へし折り続けて向かった先が日常を美しい物、崇高な物として自己の内部に保存することだった。半ば制度化された日常の美しさは絶対的な物として扱われ、それを絶対視する人間の視野や行動を縛る。

 何かを絶対化して見ると内部に置いたはずの価値観に知らず知らず取り込まれてしまう。

 絶対化した日常に取り込まれてしまった人間は、美しい日常を規定する“私”から離れては物を語れなくなる。これが視野狭窄社会を生む。今は国を如何に立て直すか議論しなければならないのに、私の生活を離れた話が出来ない。

 雇用創出案としての法案に「我々の生活には旨味がない」とピンぼけ発言して議論を空転させてしまう。雇用創出案なんだから争点は「本当に雇用を生むか」のはずだ。

 俺は今でも最後に日本は復活すると信じてる。だけど、そのためにはまず“未熟な私”を離れて物を語れる人間が増えないと。

 美しい日常を規定する“私”の存在は内部世界の日常にあっては特殊性を帯びているが、一歩そこを離れ外部に出ると過剰流動性の社会で入れ替え可能なものとしての扱いに変わる。そこでは私の特殊性を主張してみても根拠がない与太話である。だからか。ますます私の特殊性を主張できる世界としての日常に深く潜り込んでしまう。
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コメント

  1. 黒色大聖堂管理人 | URL | -

    ネトウヨ諸氏は何故に安保世代と似てるですか?
    何のリバイバルなんですか?

    中韓ロの首脳と会っただけで、麻生は保守派ではなくなった。アイツは「反革命的だ」と言い出し「ネット内」で言論リンチ殺人をしてみせる。

    安倍が退陣すれば、マスゴミのネガキャンが原因であると言い出し、責任転嫁。
    さらには自民党が退廃しているとして、共産党に反旗を翻す「新左翼」のような態度を取り始める。

    正しいのは「俺らだけ」というオナニー思想全開!
    もはや総統のSSの香りさえただよう香ばしさ!

    歴史問題で中韓を言い負かす方法を、言い出す間に、リアルではテポドンが飛んでますけど、ニュースは見てないんでしょうか?
    もうね・・・バカなの?死ぬの?

  2. | URL | Xysd5fB2

    Re:黒色大聖堂管理人さん

    > ネトウヨ諸氏は何故に安保世代と似てるですか?
    > 何のリバイバルなんですか?
     常に古いものが新しいものを駆逐しようとするのが歴史なのかもしれません。

    > 中韓ロの首脳と会っただけで、麻生は保守派ではなくなった。アイツは「反革命的だ」と言い出し「ネット内」で言論リンチ殺人をしてみせる。
     そんなこと言っても会わない訳にはいかないですよね。
     気に入らないから会わない、口も利かないって子供の喧嘩じゃないんだから。それ実践してる北朝鮮にお前らなんて言ってるよ、と。
    「北が核武装したから日本も」と言うのだって、北朝鮮と同じことしたら日本も国際社会の嫌われ者になるって発想はないのか。同じことしても北朝鮮はアウアウで日本はセフセフ?
     考えが甘ーーーい

    > 安倍が退陣すれば、マスゴミのネガキャンが原因であると言い出し、責任転嫁。
     安部ちゃんは善い人。善い人だけどトップには向いてなかった。いや、善い人だからこそ、トップになるべきではなかったのかも。2、3番手で補佐する役割が安部ちゃんには適任だった。
     そういう意味では麻生も善い人すぎた。周囲の意見を聞きすぎる。決めるときは周囲の反対を押し切ってでも我を通す豪腕が欲しい。政治思想や国を導いた先はともかく、最近の首相で最もトップの適正があったのは小泉だったのかもしれないな、と、思っています。

     世界には東と西に分かれ混迷するベルリンを舞台に闇の勢力と人脈を築き、副市長時代に貧困層を救済するための基金を着服した……と嫌疑を掛けられたが後にもみ消す……禿も居ますからね。人脈と金、そして何故か政敵が謎の死を遂げるラッキーも重なり大統領まで登り詰めた“あの男”が再び大統領になったとき、互角以上に渡り合ってもらわないといけないのを考えると善い人なだけじゃ荷が重すぎます。

     少しは汚れる覚悟と度胸を持ってもらわないと。

    > さらには自民党が退廃しているとして、共産党に反旗を翻す「新左翼」のような態度を取り始める。
     60年代リバイバル(笑)

     とか何とか否定的なことを言いながら、数年前まで自分もネトウヨに近い立ち位置だったので上から目線で批判してばかりも居られないですけどねhahaha

    「元ネトウヨ予備軍のオレの経験からみて今のおまえらに足りないものがある。自分を相対化することだ。おまえ、もしかしてまだ、自分が賢いとでも思ってるんじゃないかね?(戸愚呂弟風に)」

     マスコミという既存の権力を否定し、ネットを対抗馬に持ち上げることで相対化しようと努めながら、自分自身の立っている場所は相対化どころか絶対化して盲目的に突っ走ってしまうのが、ネトウヨにもネトサヨにも言える現代でイデオロギー論争を人生の中心的な場所に置いちゃう人たちの悲しき習性かなと思います。

     中途半端に俺って頭いいーと勘違いした人が掛かる熱病みたいなものなのかも。

     この病気は恐ろしいことに日本だけではなく、新型インフルエンザ級の感染力で世界的な流行を見せています。アメリカもEUも。あっちも、そっちも、こっちも示し合わせたかのように右と左を始めました。アメリカで盛り上がるイデオロギー論争を、チョムスキー爺さんは「中心がない空虚なもの」と書いてたような……。

     法律の原則を振りかざし、些細な罪でも鬼の首を取ったように騒ぎ立て祭りに発展させる人たちと、イデオロギーを自己の存在理由にする人たちは思考が硬直化し、柔軟性を欠いてる点で共通してるのかもしれませんね。

     自分の考えを普遍化してしまうのは仕方ないと思うんです。人間だもの。神様と違って主観でしか物を語れない小さな存在です。だけど、それにはまず自分の考えが間違ってるかも知れない可能性を念頭に置く必要があり、そのためには窓を開けご近所に聞こえる声で「俺って馬鹿だぜー」と叫んでみるべし(笑)

     頭すっきりして今まで見えなかった物が見えてくるかも知れませんよ。

     翌朝には隣近所から完全に痛い人として扱われますが。

  3. 黒色大聖堂管理人 | URL | -

    うーむ若さなのですかねぇ。やはり自分の考えが正しいという気概は評価できますが、どうも一直線過ぎるかな。先輩世代と一緒で、絶対化し過ぎてしまう。身内(政府)批判など、方向を見れば現代中国の同世代も同じかも。
    フラット化された世界の中で政治を絶対視しないが、自国主義で、醒めた態度をとったりもすると。

    政治には大きく関心は無いが、態度を演出することで実は、閉塞状況に対して反抗しているが、革命は出来ないと本心では知っている。政治を批判することで自分を、大きくみせて自分は、特別と思いたい。

    そこが絶対化させる原因かも・・・

    やはり、人間になれないフランケンシュタインの怪物の嘆きですかなぁ。
    そう考えれば、自己の相対化できなくても、不思議ではないかなと。

  4. | URL | Xysd5fB2

    Re:黒色大聖堂管理人さん

    認めたくないものだな、自分の若さゆえの過ちという奴は。

    やれやれ。

    内部から見たネトウヨ諸氏は面白かったですけどね。よく「見えない敵と戦っている」と言われる彼らですが、なんのことはない。ありゃ自分と戦ってるんです。同族嫌悪。

    よくネトウヨさんたちは韓国をなじりますよね。これだから韓国は云々。韓国は何でも日本の所為にする。超理論ですべて「日帝の陰謀ニダ」言い出す。これらってすべて自分たちがやってることと一緒だろ、と。

    だから基本的にネトウヨさんたちの韓国人批判は「オマエモナー」で返せるんですよ。

    鏡に映った像に向けて威勢良く吠えてるだけ。その前に何が映ってるか見ないと。

    政治討論の末に嫌中、嫌韓になった人も居るんだろうけど、そうじゃなく最初から嫌中、嫌韓やりたいがために参加してくる子供が多い。後期になればなるほど増えます。彼らが口を揃えて言うのは俺たちはネットによって真実を知った賢い民である。大多数の情報弱者どもは真実を知らず強制された常識で生きている。俺たちが戦わなければ、ということ。

    韓国ネチズンが自分たちに都合の良い資料を集め、これによると日本は極悪非道の行いを韓国に強制したと言うのには烈火の如く怒りますが、それじゃ自分たちが何やってるかというと、やはり自分たちの立場に都合の良い資料を集め「嘘だ!」と叫ぶ。意に沿わない資料は「根拠がない」「ねつ造だ」で通す。

    自分たちの言いたいことを補強する形で資料集めしたら、日本は極悪非道の国だったとも、白人の支配からアジアを救うため立ち上がった正義の国だとも言えます。一か十かの議論ですね。その中間あたりが現実でしょう。

    韓国の反日教育は批判するけど、自分たちもネットを使って嫌韓教育。

    似た者同士が殴り合ってるんだから行き着く先は泥仕合しかありません。

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