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内容(「BOOK」データベースより) どうやら俺と芥川賞選考委員の読書に関する趣味・嗜好は百八十度違うようです。いつも受賞作を読むたび微妙な気持ちにさせられます。という訳で本書も全く期待せずに読み始めました。 これはあれですね。あらすじから恋愛物か何かを想像すると大きく外されます。そういう要素で売りたいのかどうか知りませんが、少なくともここを読んでる人は釣られないで下さい。 この作品を推す人の多くは描写が良いと言うんですね。都会に生きる人間の擦れ違い、関係性の希薄さ、孤独なんかを淡々と描き出してる、と。否定的な意見を言う人は物語として何も起こらないことに不満なんですね。印象に残るようなシーンが何も無いじゃないか。 確かに都会派小説として読んだら微妙ですね。都会で生活する生き難さ、孤独、ちょっとした出来事を書く作品は沢山あります。そこへ新たな一作を加えんとする気概や熱みたいなものがないんですね。いや吉田さんがこういう淡色系の作家だってのは知ってますよ。W村上で言ったらハルキの方だってのは。それでも違和感が拭えないんです。 ひょっとしたら読みを間違ってるんじゃないか? そう思い、長い話でもないので再読してみました。 一読めから気になったのが主人公の人体に対する興味です。これは他の方も書いてるんですが作中にやたら出て来ます。そもそも主人公とスタバ女が出会ったのも臓器提供の広告絡みでした。これは人体が何かしらのキーワードじゃないかと意識しながら読み進めていきます。すると日比谷公園を人体胸部図と喩えてる部分があるんですね。心字池が心臓です。 ここを人体胸部図だとしたら、東京って町が全身か? 都市を走る大きな道路は“大動脈”とも言われるな。内蔵や筋肉を包んでいると思っていた人体が、実はさらに大きな身体によって包まれていた。ロシアの土産物マトリョーシカみたいだな。 大都市の中で暮らす人間一人ひとりは細胞なのか? 主人公とスタバ女の会話を読んでると、こんなシーンがあります。
最後まで読むと主人公もスタバ女も地方出身者であることが分かります。東京という人体の中で働く内側の人たちです。 スタバ女はスターバックスの店内があまり好きじゃないと言います。その理由が「あの店にいると、私がどんどん集まってくるような気がする」です。次から次に入ってくる女性客が自分に見え一種の自己嫌悪に浸るというのです。これと後に続く台詞、
を繋げて考えると、“スターバックスの味が判るようになった女たち”とは地方から就職や進学で上京し、何とか都会の水に慣れた、慣れ始めた女たちのことではないか。彼女は秋田の角館から上京しこれまでやって来たけど、そろそろ限界に近いのではないか。機能不全を起こし始めた内臓だ。 スタバ女は最後に主人公を写真展へ連れ出し、そこで角館の写真を見て何か決意します。それが何なのかは語られません。彼女が見た物から推測するしかないのです。 「杉浦産婦人科」という病院の写真がクローズアップされます。スタバ女が生まれた病院だそうです。そこを見て決意したということは、実は妊娠していたスタバ女がシングルマザーになる覚悟を決めたのか? ――いや。ここまで人体に関連付けて読み進めてきたんだから、最後までそれで通したい。人間はどこから生まれる? 彼女にとって角館は母親の子宮じゃないか? そこへ戻って行く決意をして物語りは締め括られているのでは? スタバ女を機能不全の臓器だとしたら、その穴はやがて余所から来た別の臓器によって埋められるだろう。冒頭から繰り返し象徴的に使われてきた臓器移植のイメージです。 他に『パーク・ライフ』では内と外の対立構造が繰り返し使われます。ダ・ヴィンチの「モナリザと人体解剖図」だったり、思ってることを互いに言えないものだから関係が怪しくなり始めた夫婦だったり。ほとんどが人体を外端にする中、日比谷公園を俯瞰するためにCCD付きのリモコンを飛ばそうとするオジサンのように、さらに広い世界が外へ広がっていることを示すような描写もあります。 そういう諸々のことから俺は本作を恋愛物でも、都会の生き難さを表した話しでもなく、人体小説として読みました。こじ付けが激しいですか? これがデフォです。全編に亘って色んな読み方が出来ます。特にラストは読み手によって変わるでしょう。 自分で楽しみを見つけられる、読み方を探すのが苦ではない人向け。物語に肩までドップリ浸かりたい人は不向きかもしれません。 COMMENT
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