映画『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』

2009年11月14日 12:17

 この前に見た『緑の巨人伝』が退屈だったのでクターっとなりながら見ました。

 というかセル版はまだなのね。レンタルは始まってたのに。

『のび太の新魔界大冒険』と同じく過去作品のリメイク。脚本も真保裕一。

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
藤子・F・不二雄原作の人気アニメ『ドラえもん』の劇場版新シリーズ第4弾。ある日、超空間のねじれにより、のび太の部屋の畳の下と宇宙の彼方にあるコーヤコーヤ星が繋がってしまい…。


 そんな感じの作品。

 脚本家が同じだからかな。『新のび太の魔界大冒険』の時にも見えた“親子愛の物語を補強する”形でのリライトが目立った。具体的に言うと今作で新たに追加されたキャラクター、モリーナと彼女の父親との話。香里奈がゲスト声優として声を当てているこのキャラクターは、大事な場面で演技が薄く重要な場所に位置づけられてる割には存在感がなかった。脚本上も必要だったのか疑問は残るところ。

(ノ∀`) アチャーて感じ。香里奈のキャスティングありきで書いたのかなとも思うけど、あんまり深く考えないことにする。

 モリーナと父親のドラマを盛り込んでしまったが為に、のび太が主役の山場の後もう一段、親子愛の決着を用意しないといけなくなったのが……。無ければ無いで困らなかったよね。むしろ無いほうが良かったんじゃないかと思ってしまうんだけど。

 余計な付け足しがあったのは確かなんだけど、それでも『緑の巨人伝』よりは見れた。

 しかし新ドラ映画はジャイアン、スネ夫、しずかの存在が小さく扱われてるね。単なる子供向け冒険映画とは見られたくないとでも思ってるのかな? 要らない虚栄心だよね。モリーナに割く時間あるならジャイアンを出せと。劇場版ドラ=ジャイアンが主役だろjk
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映画『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』

2009年11月11日 23:59

 新ドラ映画3作一気レビュー。第二弾。

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 これ内容を手短に紹介すると地球の環境を大切に。緑は守ろう。だけど環境ファシストはキモイになるのかな?

 裏山から拾ってきた小さな木。庭には植えられないと悩むのび太にドラえもんが出したのは「植物自動化液」だった。一抱えもある瓶の中身を振りかけて待つこと一晩。未明に木は二足歩行する生物になった。のび太は彼をキー坊と名付ける。

 のび太とキー坊の交流がメインの前半、場所を緑の惑星に移した後半。脚本としては後半がメインなんだろうけど、完全に見所は前半に集中してしまって残り三分の一は退屈で仕方なかった。意気込みが空回りしている。

 いちいち説教臭い。事あるごとに説明台詞が入る。子供向けにしたつもりか知らんけど、テンポ悪くなって逆に集中力の低い子供は途中で飽きるぞ。これ。

 見所はキー坊というキャラクターの可愛らしさだけかな?

 最後の方で復活した緑の巨人が地球を焼き払うシーンあるんだけど。なぎ払えーって感じで。なんかもう途中で「……ナウシカ?」て思った。同じく環境が主題の作品だから余計そう見えたのかも知れないけど。
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starsMiyazaki earlier work
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 現在の値段が7.88ポンド。日本円換算で1179.53円。送料が1000円かからないはずだから2000円以内で買えますね。商品の代金、送料共に為替レートが変動すると影響を受けるので、各自その都度調べてください。

 こんなに安く買えるのも、かつての覇権国家イギリスが没落してるからなんですけどね。

 一点だけ注意。イギリスのDVDはリージョンこそ日本と同じ2を採用していますが、アナログ映像形式がPAL(日本はNTSC)で日本製プレイヤーと互換性ありません。再生にはPAL/NTSC変換器を噛ませるか、海外のメーカーが売っているリージョンフリーのプレイヤーでPAL/NTSC両方とも再生できるのを探すか、あるいはパソコンならリージョンさえ合っていればPAL/NTSC関係なく再生できるはず。そこら辺は各自で自分の環境を調べてください。

『緑の巨人伝』に話を戻すと、この作品に決定的に足りない物がある。それはジャイアンだ。

 昔のドラ映画って「主役はジャイアンだっけ?」と思うくらいジャイアンが活躍してたじゃないですか。この映画にはそれが無いんですよ。というかジャイアン、スネ夫、しずかの3人は存在理由を問いたい、小一時間問い詰めたいくらい印象の薄いキャラクターになってます。

 劇場版ジャイアン、いわゆる綺麗なジャイアンはギャップ萌えを楽しむ存在だと思うんですよ。だいたいドラえもんの映画を見ようなんて人は普段からドラえもんを見てる訳じゃないですか。メインターゲットになる子供、その親たち。彼らが劇場に足を運んだとき、そこには普段見られないジャイアンが居る、と。悪い奴が偶に善意を施すと善人に見えるジャイアン現象ですな。

 TV版ジャイアンと劇場版ジャイアンの違いは何かと言ったら、TV版では日常が舞台だから彼の力が小さな世界の中で強烈に働く――幼稚な暴君として振る舞えてしまう。ご近所の子供たちの中で身体が大きく力も強いジャイアンはやりたい放題してるわけですよ。偶に母ちゃんを始め大人に叩きつぶされて、より大きな世界に向けては無力であることが示されるけど。

 ところが日常から切り離され彼の力が働く――幼稚な暴君として振る舞える世界の枠を超えたとき、ジャイアンの存在や人間としての価値が問い直されてしまう。絶対君主から無力な一個人に叩き落とされた世界で如何に行動するか。馬鹿なガキ大将のまま殻に閉じこもるか、無力な自分を痛感することになろうとも何らかの行動を見せるか。旧劇場版のジャイアンは普段のび太をイジメながら、ピンチになると彼を含め仲間の盾になる男気を見せた。だから格好よかったんだけどな。

(・ω・)bおまえ漢だ!

 この作品に限らず最近のジャイアンにはガッカリだ。仮面ライダーが変身しない状態で怪人を倒したら、すげーと思う反面、なんか違うなと思うでしょ。ジャイアンにも変身して欲しいんだよね。

 TV版と劇場版でキャラクターの違う面を見せることに掛けて『クレヨンしんちゃん』は凄く頑張ってる。最近どうなのって作品も多いけど、基本的に劇場版の野原家は格好いいよね。やはり日常を扱ったTV版では馬鹿なことばかりやっていて、そのノリは劇場版にも引き継がれるんだけど、決めるところでは日本一格好良い5歳児に変身する。

 成長ではなく変身ね。

 今の劇ドラにはジャイアンが足りない
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映画『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い』

2009年11月08日 22:21

 新ドラ映画3本レンタルして一気に見ました。姪っ子に付き合って昼から夕方までずっとテレビの前に。疲れたー。1本ずつ紹介していきたいと思います。今日はこれ。


 1984年に公開された『のび太の魔界大冒険』をリメイクした作品。脚本は『ホワイトアウト』『奪取』『アマルフィ』の真保裕一。もともとアニメーションディレクターだからね、真保さん。

 大人でも唸らせられる力作が多い旧ドラ映画。その中でも『のび太の魔界大冒険』は屈指の名作として評価されている逸品。それだけにリメイクは見るのが恐ろしかったんだけど、まあまあ成功してるんじゃないかと。ほんと見る前は思い出クラッシャーになるんじゃないかと恐れてたんですよ。だけど実際に見てみたら、旧版の脚本を上手くリライトして今っぽく改めてました。
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*ネタバレあり 映画『グエムル-漢江の怪物』感想

2009年10月13日 22:18

内容(「Oricon」データベースより)
ソウルの中心を南北に分けて流れる雄大な河・漢江(ハンガン)。休日で人の賑わう河岸に突然、正体不明の巨大怪物“グエムル”が現れ、人々を襲い始める。さらに売店の店番をしていたカンドゥの目の前で、愛娘・ヒョンソがさらわれてしまう。カンドゥは父・ヒボン、弟・ナミル、妹・ナムジュと共に愛娘の救出に向かう…。世界中を震撼させた恐怖と興奮と迫力のモンスターパニック・ムービー!


 この映画はことごとく主人公一家の成長、怪物への反撃、物語のカタルシスを踏み外す。カンドゥは怪物から逃げる際に娘と知らない女の子の手を取り違えヒョンソを置き去りにしてしまうし、銃に弾が一発残っていると言い父ヒボンに渡すが実は数え間違いで、息子の言葉を信じ怪物にトドメを刺そうと待ち構えていたヒボンは殺されてしまう。自分の単純なミスで父を殺してしまったカンドゥは茫然自失。無意味に泣くばかりで彼をウイルスの保菌者だと決めつけ追ってきた軍関係者に身柄を拘束されてしまう。

 怪物に連れ去られた娘が生きていると訴えるカンドゥの叫びは精神錯乱者の戯言と聞き流され、終いには前頭葉にウイルスの影響が現れているのではないかと針を刺されてしまう。

 怪物との最終決戦で元学生運動家の弟ナミルは火炎ビン持参で現場に駆けつけるが、トドメの一撃となるはずの場面で最後の一本を手から取り落としてしまう。これをアーチェリー選手の妹ナムジュが火矢にして怪物へ突き刺すことで何とか物語は解決へ向かうのだが、この家族ずっと見ていると本当にダメダメである。それ以前にナムジュも怪物に向け矢を構える場面で全く良いところ無く一撃で排水溝に落とされ失神している。

 カンドゥを初めとする一家のダメ人間演出、カタルシスの意図的な踏み外し、子供のために右往左往する父親の必死さを離れた場所から笑うような撮り方。これらが『グエムル-漢江の怪物』の特徴である。

 この作品では白人、殊にアメリカ人が出しゃばって事態を大きくしているため、韓国人の反米映画だと見る向きもある。確かにそう見える。勝手に大騒ぎして事態を大きくし沈静化不可能なところまで持って行った。しかし、そこに狡知に長けたアメリカ人、すべてを思い通りコントロールしようとする悪辣な白人像はない。

 言ってしまえばこの映画。最初から最後まで偶然と勘違いで出来ているのだ。

 怪物が生まれたのも博士(やっぱり白人)が助手に薬品を川に流して処分しろ。大丈夫、漢江は広いからと訳の分からない理屈を言い出したことが切っ掛けだが、そこに薬品を処分しようとする以上の意図はない。怪物は未知のウイルスを持っていると言いだし、カンドゥのヒョンソは生きているとする必死の訴えを華麗に無視したアメリカ人医師も、自分の持てる知識と職業意識から決断を下したに過ぎない。まあ、ウイルスが発生したと大騒ぎしてみたが、先に死んだアメリカ人兵士の身体から発見されず、体面を保つためには是が非でもカンドゥから検出したい大人の事情があったのは事実だが。

 ただ、カンドゥの涙ながらの「ヒョンソは生きている。携帯に電話あった」を無視したのは、韓国人の警官と医師の方が先である。この点ではカンドゥの言葉を無視したとアメリカ人ばかり責められまい。

 少数の人物が下す恣意的な決定ではなく、偶然や勘違い、人知の及ばぬ範囲で歴史や社会は動かされ、その大いなる営みの前に人間個人など無力である。そんな監督の呟きが聞こえてきそうだ。

『グエムル-漢江の怪物』では有り触れた家族愛をブラックに笑い飛ばす。

 遺体安置所でヒョンソの遺影を前に泣き崩れ喧嘩する一家。その様子を撮影しようと群がるカメラマンたち。一段高いところから全体を俯瞰して撮る視点は、これらを女の子の死に涙する美しい家族愛と、それを飯の種にする汚いマスコミなどといった芸も捻りもない枠に収めようとはしない。双方とも等しく滑稽な存在として描かれる。

 カンドゥの娘を想う訴えも彼の愚鈍さ、弁舌の鈍さ、何より冷静さを欠いた感情的な話し方のため周囲の誰も取り込めず、弟にまで「お前は邪魔だからしゃべるな」と遮られてしまう。

 家族愛は確かに美しい物かも知れない。世の中にはそれが全てだと言う人も居るだろう。だが、それらはすべて社会が平和を維持している状態、日常的な世界での話である。怪物の出現により無理やり非日常の世界に引きずり込まれた時点で、カンドゥ一家が必死に追いかける家族愛の物語は容易く妥当されてしまう物に成り下がった。それは非情でも非道なのでもない。冷静な社会認知である。怪物の登場で世界は表と裏が引っ繰り返ったのだ。非日常世界の論理で動いている軍部と、日常世界の論理を非日常世界に持ち込もうとするカンドゥたちの衝突は避けようのない自明の理である。

 当局に身柄を拘束されたカンドゥが脱走する場面。外へ出ると、そこには河原でバーベキューする人々の姿が。この物語の冒頭。カンドゥの家は漢江でビールや肴を売る売店だったことが示されている。カンドゥは河原に置かれたバーベキューセットを――非日常世界に飲み込まれた陳腐な日常を蹴り飛ばして逃げる。

 非日常性と日常性の乖離はラストシーンで頂点を迎える。

 家族の力で怪物を倒したカンドゥだったが娘ヒョンソは死んでしまう。韓国では公開当初から観客の意見が真っ二つに分かれ、死んでる・死んでない論争が起きた。制作陣から公式に「ヒョンソは死んだ」とコメント出ても続いたらしい。不幸の原因(怪物)を取り除けば世界は元通りの姿を取り戻す、そんな甘っちょろい幻想を監督は打ち砕く。ここまで物語的なカタルシスを踏み外し続けてきた作品のラストとしては実に相応しい。が、やはり賛否両論のようだ。

 ヒョンソを失ったカンドゥは、ヒョンソと一緒に排水溝から怪物に連れ出されてきた少年を新たに家族として迎え入れ、再び売店を営み暮らす。非日常の世界で怪物を討ち取った経験は何も活かされない。物語の冒頭へ戻っただけのことだ。全編に亘って続けてきたカタルシスの踏み外し、日常と非日常それぞれを支配する論理の乖離は、非日常の物語で怪物を倒す戦士として成長したかに見えたカンドゥが、実は何も成長しないまま日常の物語へ戻ってしまったことで物語的な結実を見る。

 非日常の世界には非日常の、日常には日常の論理があり、一方の世界で功成り名を遂げても他方の世界には必ずしも持ち込まれない。戦場で華々しい活躍をした勇者でも平和な世界に戻れば不気味で厄介な人間としか見られないのが現実である。
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 歴史や社会といった存在が加える見えない圧力の前で人間個人の存在は小さく無力である。非日常世界の英雄も日常世界には経験値を持ち込めない。ならば物語の最後。小市民たるカンドゥは元の場所へ戻ってくるしかないではないか。

 何処へも行けない私、日常へ戻らざるを得ない私の物語は、同じ日常へ回帰するでも昨今の日本に溢れる“社会が喪失して信用ならざる物になっているのだから、日常を至高の物として戯れ楽しむのは仕方ない”とする物語とは一線を画する。

『グエムル-漢江の怪物』は初期セカイ系のような「社会が信用できないから社会的自己実現で成長するのを拒否する」でも、00年代に入ってからのセカイ系に見られる「登場人物の知覚が及ぶ範囲内、小状況で擬似的な成長物語を展開することにより、それが大状況の物語まで解決できたかに見せる」物語にも属さない。

『グエムル-漢江の怪物』で社会は強烈に効いている。その影響を登場人物の一人一人が察している。だから無力な私を自覚し、何処へも行けなかった私として日常へ戻らざるを得なかったのだ。

 ここまで長々と書いてきたわけだけど、読んでくれた人が気になるのは「結局これ面白いの?」だと思う。まず言っておかなければならないのは、これ怪獣映画ではなく、怪物映画。ホラーパニックを期待すると違う。怪物の見せ場は最初に登場して市民を次々になぎ倒していくシーンだけで、後は偶に出てきて人をさらうか走ってるか。B級SFホラーっぽい物を期待すると違う。

 カタルシスの踏み外し、脱力の演出は怪物を小道具にしたブラックジョークとしても見られる。鑑賞直後は何とも書くのが難しい怪作。しかし時間に余裕あるなら見ておくと良い。日本と韓国の社会的な背景から来るメンタリティの違いが感じられる。

 怪物のヴィジュアルが日本の某アニメに出てくる奴にそっくりだと言って見もせずに叩いてる人いるけど、まず見てから作品単位で評価したらいいじゃん。
(´-`).。oO(似てるのは否定しないけどな)

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*小状況の擬似的な成長物語とは以前『少年少女漂流記』(作:乙一 絵:古屋兎丸)を別館でレビューしたときに出した言葉で、自分としては登場人物の知覚が及ぶ範囲内、彼の想像力が届く場所までを言い、それより遠く無数の小状況を内包する物は大状況と呼んで区別した。
 かつてセカイ系は主人公が成長しない物語、社会的自己実現を拒む物語と言われたが、近年の事情はそれら単純な区分で表せなくなっている。
 最新のセカイ系は登場人物の成長を含む。しかし、この成長物語は依然として社会的な自己実現とは無縁であるし、ずいぶんと都合主義的である。ダメな自分を自覚し反省のポーズを取った後はストレスフリーで成長してしまえる。そして本来なら大状況の物語内部に位置するはずの存在が、結末で逆に大状況をスッポリ包み込み、より広い世界の問題を覆い隠して万事解決したかのようにエンドマーク打ってしまう。
 これが最新のセカイ系。
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映画『ヴァージン・スーサイズ』

2009年10月11日 15:15

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1970年代、アメリカ郊外の静かな住宅地。両親は保守的で厳しいが、何不自由なく暮らす美しい5人姉妹の末娘が自殺を図る。そしてその死から1年も経たないうちに、残りの姉妹もすべて自殺してしまう…。姉妹に憧れていた少年たちが回想する形を取りながら、少女の危うさとエロチシズムを繊細な映像と音楽で描いている。 フランシス・フォード・コッポラの実娘ソフィア・コッポラの長編第1作であるこの映画、演出上の食い足りなさは残るものの、そこが妙に映画のテーマである少女性にマッチしていて、あやうくうっとりしてしまう。少年たちが電話を通して姉妹に70年代の切ないポップスを聴かせるシーンは印象的。キャスティングは秀逸。特に奔放な四女ラックスを演じたキルスティン・ダンスト(『スパイダーマン』)の美しさは出色だ。(茂木直美)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
名匠フランシス・F・コッポラの愛娘、ソフィア・コッポラの初監督作。70年代のアメリカを舞台に、美しい5人姉妹に心を奪われた少年たちの姿を斬新なタッチで描く。


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