Out of thin air

「金は天下の回り物だ!ただ、いつもこっちをよけて通るのが気に食わん」ツルゲーネフ『猟人日記』

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ミッ○ーマウスを忘れないで

 ただいまの時刻は深夜1時。おっさんホイホイっぽい音楽で昔を懐かしむにはいい時間じゃないか。というわけでScanch(すかんち)の『恋するマリールー』でも聴こうよ。

 バーガーショップで働いていた彼女がモデルとして身を立て派手な生活を送っている。それを彼女と付き合っていた僕がショップの端でテレビ越しに見る。心身共に遠い存在となってしまった彼女に「ミッキーマ○スを覚えているか」「ミ○キーマウスを忘れないで」と歌う。

 二人が一緒に過ごした時間において「ミッキーマウスのシャツ」は象徴的なアイテムなんだね。寂しさの中に彼女への愛と未練を漂わせながら今でも好きさと言う。これストレートに「僕を忘れないで」だとダサいし、哀切が無いよね。遠くに行ってしまった彼女に「僕を忘れないで」と言うのは忘れられたのを認めることになる。

 二人の間にミッキ○マウスを介することで生まれた適度な距離。これがいい。

 しかしバンド名(すかんち)は逆から読まないこと。絶対だぞ、絶対だからな。
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久しぶりに真面目に論じてみようかな3

 90年代に入って以降、特にポスト・エヴァの時代に多く創り出されたのがセカイ系と呼ばれる一連の作品群でした。

「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と説明されるセカイ系。ページの多くを個人間の物語や主人公の内面に当て社会との関係性が抜け落ちたまま、彼らの行動が世界の終末など大規模な事象に直結していく。高橋しん『最終兵器彼女』などが代表作に挙げられる。

 未だに定義は曖昧で論者によって微妙に違うんで説明するのが難しいけど、極々一般論的な解釈だとこんな感じになると思います。

 ツンデレがツンデレという名前を与えられてジャンルとして確立する以前から概念としては存在したように、セカイ系もセカイ系という括りが誕生する前から個々の作品には見て取れたんですが、はっきりジャンルとして確立したのは90年代に入ってからのこと。

 90年代に入ると80年代へのカウンターからかリアリズム志向、キャラクターの内面性を書くのが尊ばれるようになりました。ここら辺りから無能な評論家モドキが真っ先に頼りたがる三種の神器『文章力がない』『オリジナリティがない』『人間が書けてない』が出揃ったのかな?

 90年代の作品群を見ると過剰なまでに人間の内面にスポットを当てた作品が媒体を問わず多く生み出されました。漫画、アニメ、ゲーム、ドラマ、映画、小説。

 90年代にメインストリームの逆転現象が起こった原因は色々考えられると思いますが当時の社会情勢を無視して語れないのでは。日本経済華やかで人々が浮かれ騒ぎ現実それ自体がファンタジーみたいな物だった80年代から一転、後に失われた10年と呼ばれる長く暗い時代に突入し、人々は夢を見ること忘れました。そんなもんより目先の生活が大事ですから。つらい時期こそ夢のある作品を望むように感じますが、どうも日本人って過去の作品群を振り返ると社会情勢が苦しいときほど暗く陰鬱な方向に流れがちなんですよね。いや日本に限らず世界的にそんな気しますが。

 終わらないと思われていたバブルが弾け、国内ではサリンを使ったテロが発生。普通の人が持っていた常識が大きく揺れ動いた。もう確かな物は存在しないんだ。この世は全て相対的な物であり絶対的な物などない。等しく無価値で揺るぎない価値観や思想など残されてない――という思想が広く蔓延し、彼らの目は内側に向きます。外の世界に自分が寄り掛かり心の平穏を得られる物が見つけられなかった彼らにとって、最後に残された唯一絶対な物は己だけでした。自分探しが流行ったのもこの流れで出て来たのではないでしょうか。

 かつて三島由紀夫は己の外に己を超える価値を見出せるかどうか。自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くない。生きるのも死ぬのも自分のためでは卑しい物を感じてしまう。生きるのも自分のためだけではすぐ飽きてしまうと語っていました。外に見出した価値を三島は"大義"と呼びました。一般に広まっている「三島は右翼」のイメージと大義という大袈裟な言葉に「天皇のため」「国のため」と一足飛びに大きな所へ繋げて考えられますが、俺は別にそこまで大層な物でなくともいいと思うんです。 あんまり大きな物を抱えすぎると支えきれなくなり最後はコンプレックスに転じて苦しむからね。他の人が見たら下らないと思う物でも良い。とにかく自分の外に"己のため"を超える存在意義が見出せるか。
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さっき気づいたんだけど

 もうすぐここ2周年だ。早いな2年。この前1周年だよって書いたばかりな気がするのに。

 まあ何もやらないけど。思い出さなければ誰も気づかず過ぎてたろうし。

 それより聞いて下さいよ。アメリカ人が日本人の彼女に連れられて初めて向こうの家に遊びに行ったんですって。どこから知識を得たのか彼「日本の親父は怖い」というイメージを持っててガッチガチに緊張してたんだけど、いざ会ってみると凄いウェルカムな雰囲気で優しくて安心したんだそうです。

 夕食のとき軽く酒を飲みながら話していると「そういえば君、仕事は何をしてるんだ」と、お父さんが聞きました。学校で英語を教えてますと答え、彼のほうからも「お父さんは何をしてるんですか」と聞いたんだそうな。

 そしたら突然お父さん謝りだしたから彼ビックリ。どうして謝るんですか。僕が何か言いましたか。彼のほうが驚いて何も言えなくなってしまいました。その場は取り敢えず流して何ごともなくやり過ごすことにした彼。しかし頭の中は不可解な行動で一杯です。帰り際、玄関先で彼女と二人になったのを見計らって聞いてみました。

「どうして僕と話してるとき、お父さんは急に謝ったんだろう」

 あのとき彼女は席を外していたため答えを引き出すにはまず状況を説明する必要がありました。彼の言うことを黙って聞いていた彼女は頷きました。

「たぶんだけど」彼女が言います。「それは謝ったんじゃないと思う」

「じゃあ、どうして」

「それはね……」
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久しぶりに真面目に論じてみようかな2

 前回の続き。自分の願望を作品に反映すること自体は責められるべき物ではありません。モチベーションの一つにもなってますから。ただ他人に読ませること前提である以上、どこかで折り合いを付けないといけない。願望だけで手前勝手に突っ走るなら人前に出す必要はありませんよね。

 願望を投影するのに若者と老人の別はないと書きましたが中身は違います。

 若者の作品に多く見られるのが認められたい、あなたは悪くないと言ってもらいたい願望。おそらく自身を投影したと思しき若者――平均的で特に目立ったところがない、社会のヒエラルキーでは真ん中やや下くらいに位置する――が主人公で、彼は世の中に窮屈な物を感じ生き難さを抱えているが、それを自分ではどうしようとも思わない。ただ日常をやり過ごす。そこにイレギュラーな存在が登場する。多くは主人公の――書いてる人間の――好みを書き写したんじゃないかと思われる女性。彼女は積極的に主人公に関わってきて、何度となく接してるうち引っ張られるように怠惰な日常から抜け出していく。

 導き手となった彼女は絶対に主人公を否定しない。表面上は罵倒したり拒否したりしても、本当に根っこの部分――彼のアイデンティティを粉々に砕いてしまう最深部への一撃は加えない。程よい刺激程度で収める。本気で彼を変えようとしたら、それまで作り上げてきた自己像を更地に戻して再構築する必要があるとしても、優しい彼女はそれをしない。何故なら一度彼を殺して生まれ変わらせるには大きな痛みが伴うから。これは書き手の我が身可愛さでもある。

 痛みを伴うくらいなら、大変な目に遭うくらいなら変わりたくない。
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気づいたら一年のやつ、半分が終わってた

 時間経つの早すぎwww

 二十歳過ぎた辺りから時の流れについて行けないんだがwwww

wwwhabaka.jpg
 サーセンwwwwwwwww

 ……いや、実際のところどうよ。この半年で何かやったっけ自分?

 何もやってない気がするな。

 学生さんは夏休み7月だっけ?

 日本の田舎の夏休みは素晴らしいんだぜって高らかに歌い上げた曲。

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